天明三年、三重県亀山市の西村守安の次男に生まれ、大垣の医師飯沼長顕に学び、さらに京都の福井丹後守に入門、学成って大垣で開業し、長顕の嫡女・志保と結婚し、嗣子となった。
文化元年本草学の大家小野蘭山に入門した。これが植物学研究の発端となった。
文化三年宇田川榛斎に入門し、文化十二年大垣に戻り、再び医業に当たった。
また文政十二年十二月二十六、二十七日の両日、弟子の浅野恒進と今村葬所(現大垣市本今町)で刑屍体の解剖を行っている。これが岐阜県下では最初の人体解剖である。
天保三年(1832)五十歳で家業を義弟に譲り、自らは大垣郊外長松に別荘「平林荘」を築いて、研究・著述に没頭した。
著書には「草木図説」(草部前編二十巻、木部後編十巻)があるが、これは本邦最初のリンネ分類法の植物図鑑である。草部は彼の在世中の安政三年(1856)から文久二年(1862)にかけて全二十巻版行され、木部は昭和五十二年に出版された。
墓は大垣市安江町の縁覚寺にあり、大垣公園に顕彰碑が建っている。また生誕二百年を記念して解剖記念碑が建てられた。 |