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新制医師会は1947年(昭和22年)11月1日に成立した。本年は創立50周年となる。 1959年(昭和34年)発行の医師会史の序では『第二次世界大戦の終息を境とする社会情勢の画期的な変貌と機を一にして、ズバリと脱皮した新制医師会が発足した。占領治下という特殊環境であったからこそ成しえたと云える大変革は、明治の創制時以上の大問題であったが、爾来今日までの一星霜有余を省みるとき、新制医師会の組織機構は、ある面に於けるいくばくかのマイナスを除いては、多々プラスをもたらしたものと断言し得ると思うのである。』と記している。 創立50年を期に、医師会史や県医ニュースから主なものを抜粋し、この頃をふり返ってみたい。 |
■昭和20年■岐阜市空襲 | ||
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昭和20年7月9日夜半岐阜市に襲来したB29は、一夜にして全市を灰燼の焼け野原と化し、わが県医師会館も亦その業火と運命を共にして、すべてが烏有に皈してしまった。 会館の炎上で最も困ったのは、保険請求書が焼失したことである。焼けない地方郡部の会員には再提出を願ったけれど、罹災の難に遭った岐阜市中の病医院にあっては、如何ともしがたく、記憶のある人々にはそれぞれの請求書を申し出てもらい、記憶もなく、証憑もない会員分については、その月の有り金全部を残らず配分するとの便法を以てしたため、罹災と二重の損害を受けられた会員もできたわけであるが、あの際としては如何とも為し難かった。 医師会事務は、応急的に山田永俊会長宅に於いて凌いだ後、岐阜県病院(現岐阜大学医学部付属病院)産婦人科教室の一室を借り、昭和21年12月1日旧会館の落成までここにとどまった。 |
■昭和21年■新制医師会−自由民主主義旋風の中で |
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進駐軍の占領行政政策は着々と進められ、あらゆる部門に亘って自由民主主義旋風を巻き起こし、遂に日本医師会に対しても、その組織の変更改革を示唆するに至った。 −S34年版医師会史より− |
■昭和22年■難産だった初代役員 | ||
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戦後、GHQの示唆により新しき県医師会が設立されることになったが、県の方がもたついているうちに、一歩先んじて、各郡市の医師会の改組が行われた。昭和22年の秋、パージやら老齢やらということで、40歳を越したばかりの若輩の私が会長に推された。…中略… −県医ニュース400号・船坂三七郎先生『難産だった初代役員』より− |
■昭和23年■医師会活動始動 | ||
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新執行部も誕生し、県医師会の業務も『占領治下という悪条件の下であったが、洋々たる希望と、清新なる意気込みを以て、医師会活動に本腰を入れる段階となった』 −S34年版医師会史より− |
その後の主な動向 | |
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S33.7.1 |
岐阜県医師会館竣工(岐阜市端詰町) |
S33.8.10 |
岐阜県医家自動車連盟発足 |
S33.12.1 |
岐阜県学校医会発足 |
S34.11.1 |
岐阜県医師国民健康保険組合設立 |
S35. |
『動く県医』スタート |
S38. |
岐阜県医師会副看護学院発足 |
S41.1.31 |
岐阜県医師信用組合設立 |
S42 |
岐阜県医師会産業医部会発足 |
S44.9.25 |
岐阜県医師会協同組合設立 |
S44 |
岐阜県医師会互助会発足 |
S44 |
医師賠償保険発足 |
S51.5.18 |
KK.メディカル岐阜設立 |
S51.1.21 |
岐阜県医師会館竣工(岐阜市薮田) 自動心電図解析センター発足 |
S58.12.1 |
岐阜県救急医療情報センター設立 |
S59.3.15 |
岐阜県医師会史刊行 |
S61.3.9 |
岐阜県医師会勤務医部会設立 |
S61.9.9 |
岐阜県法医等三師会・警察連絡協議会設立 |
S61.10.28 |
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)岐阜支部発足 |
S63.9 |
岐阜県医師会医学雑誌創刊号発行 |
山田永俊会長 大正13年6月〜 昭和23年3月 |
吉村良雄会長 昭和23年4月〜 昭和35年3月 |
服部貴芳会長 昭和35年4月〜 昭和55年3月 |
眞鍋 真会長 昭和55年4月〜 昭和55年10月 |
河合達雄会長 昭和55年12月〜 平成4年3月 |
小坂孝二会長 平成4年4月〜 |